2016年02月13日

荒川サイクリングロードの廃村について再び

こちらの記事で荒川サイクリングロード近くに残る廃村について書きましたが、色々と不思議に思うことがあってお勉強したので成果を書き残しておきます。
参考にした情報はほとんどがこちらの論文です。読み解くにはちょっと時間はかかりますが、今後記録と記憶をなくしていくであろうこれらの廃村の歴史に関してとてもよくまとめられた大変貴重な資料です。興味と時間がある方は是非ご一読下さい。
尚、各集落の場所と雰囲気についてはこちらの記事をご参照下さい。

(1) 家屋だけが無くなり、田畑・公民館・神社・お墓・屋敷森が残されている理由
移転について国から費用補償を受けるためには家屋と庭木の撤去が条件となっていたため。庭木については竹は伐採してもすぐに蘇生するため、今でも屋敷森のようになって残っているようです。屋敷森は洪水から家屋を守るため家屋の北と西に配置されることが多く、今でもそれを家屋跡地で確認することが出来ます。
憶測を含みますが、荒川サイクリングロードのサーキット秋ヶ瀬の北にある竹藪はあの裏にある廃村(塚本集落)を洪水から守るためのものだったんでしょう。それを思い馳せながら竹藪を走ると、いつもと違う感慨に浸れます。

(2) さいたま市塚本集落
竹藪裏の廃村。1984年以降に移転した全ての世帯が補償を受けており、1999年の水害を機として2002年までに全戸が移転。このため、一気に集落が消え去ったような雰囲気となっているのでしょう。

(3) 川越市握津集落
橋が無く渡し船での交通となっていた頃は交通の要所として栄え、ピークは70戸500人が居住していたとのこと。
荒川左岸なのに川越市という飛び地のため通学等は船で対岸に渡っていたが、上江橋が出来てからは橋を渡るためより不便となったそう。
1932年から移転が進み、2006年に最後の家屋が移転。75年の長期間をかけて移転したので、塚本集落より荒廃した雰囲気となっているのだと思います。

(4) 家屋の特徴
前述の屋敷森に加えて水塚(みづか、みずつか、みつか)があります。これは洪水に備えて家屋台地を高くする工夫です。今でも塚本集落・握津集落ともに家屋跡地で確認が出来ます。さらに母屋よりも倉の水塚を高くして非常時には倉の二階で生活が出来る工夫もありました。こちらのサイトを見るとイメージがつかめます。
西遊馬のサイクルカフェ VIA はこれらの家屋の特徴をよく残しています。馬舎等も含めた敷地全体が水塚としてベースアップされており、倉であった VIA の土台はさらに高くなってます。また、VIA の奥にある母屋と VIA の間には緊急避難用の船が今でも吊るされています。
西遊馬は補償を受けずに移転した世帯が多いので、このような家屋がまだ残されているようです。是非公的な形できちんと保存していって欲しいと思います。
タグ:塚本 廃村 握津
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/173997435
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
にほんブログ村 自転車ブログ 中年サイクリストへ  
↑ ブログランキングに参加してます。ポチッしてもらえるとうれしい。